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先日、何かのおりに「やりがい」について聞かれることがありました。

心理士の「やりがい」とは何だろう…。

若い頃だったら、クライエントさんに「ありがとうございました」とか、「先生に話せて良かったです」とか、言われた時…と即答できていたように思います。

何なら、「先生に会えて、生きる気力が出ました」とか「先生に会えて、人生が変わりました」とか言ってもらえたら、心理士冥利に尽きる…と思っていたかもしれません。


でも長年臨床に携わってきた今だったら、こんなセリフが出てくるうちは、まだまだ卒業できないなとか、ようやく折り返し地点かな…なんて、思ってしまいます。

もちろん言われた時は、素直に嬉しいんですけどね。


心理士は、クライエント自身が誰かの力や助けで何とかして「もらった」とならないように気をつけています。誰かの力や助けを借りることができた自分が、最終的には自分の力で「乗り越えた」と考えるようになって欲しいのです。

クライエント自身が自分で乗り越えることができた自信をもって、「卒業」に至って欲しいと願っています。

その過程で、誰かに頼ってもいいんだと気づくこと、身近に頼れる人を見つけること、そして、「助けて」という声を届けることができるようになることも、とても大事なポイントです。

卒業のタイミングは、人によって「乗り越えた」時であったり、「心理士以外の人に頼ってみれた」時であったり、別のトラブルが起こった時に、事前に回避できたり、それほど大事に捉えずに済んだり、実践で試すことができた時であったりと、様々です。


では、私はどんなところで「やりがい」を感じるのでしょう?

経験をつんだ今となっては、「やりがい」を感じるのは意外と小さな1歩だったりします。

                 ・・・

インテークで全然カウンセリングなんかに興味がなさそうだった人が、診察後にカウンセリング受けてみたいと話していると聞いた時。

クライエントさんになかなか入らなかった解釈がようやく腑に落ちて、ふたりで思わず「ね?そうでしょ」と暗黙でうなづき合えた時。

「もうダメです!」と臨時で駆け込みでカウンセリングをして、帰る時には普通にドアを開けて帰れるようになっている時。

「先生、またしんどくなったら、来てもいいですか?」と言われた時。

                 ・・・

すべてが終えた時よりも、この小さな1歩を感じることで、そのクライエントさんの「生きる力」のようなものを実感することがあります。「前に進む力」とも言えます。

その瞬間に立ち会えたことに、”あぁ良かった。この人、大丈夫だ。”と思えると、私自身も一緒に歩いていく覚悟のようなものができます。

この感覚は一種の「やりがい」にあたるのかなと思います。

なんせカウンセリングのお付き合いは、短くはありません。

こうした「引き」の瞬間を頼りに、一筋の光を見出していく作業なのかも知れません。

この先、行ったり来たり、遅々として進まなかったり、いろいろあっても、「大丈夫、あの一歩があったから」と振り返ることができるのです。


だから、「やりがいはどんなことですか?」とか「どんな時にやりがいを感じますか?」という質問は、聞くのは簡単だし、読み手・聞き手の興味もあるのでしょうが、この感覚をお伝えするのはとても難しいのです。。。


皆さんの「やりがい」を感じるのはどんな瞬間でしょうか。



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更新日:2022年1月8日

「心理テスト」と聞いて、何が思い浮かぶでしょうか?

御自分と関わる部分で、発達に関わるテスト、知能テスト、就職時によく使われる性格傾向テストなど、思い浮かぶものはそれぞれかと思います。

心や行動のしくみを研究する心理学では、なんとか人の心の動きや傾向を数値化して目に見えるものにできないかと、長年にわたり、様々な研究が行われてきました。

それでも、「これ」という限られた心理テストが台頭してこないのは、それだけ人間の心が多岐に渡っているということでしょうか。


今日は人格検査のロールシャッハ・テストについて、少しお話をしたいと思います。

投映法の検査なので、何を検査されているのかわからないために、少々「占い」のような期待をもって、検査を受ける側も、勉強する学生もとりかかることの多い検査です。

ただ、多くの心理学の学生は、その勉強を投げ出してしまいます(笑)

それは、スコアリングまでは頑張って習得しても、解釈がなんとも曖昧で難解で、何年勉強しても「できます!」と言えない果てしなさを感じてしまうことが多いからです。

私も学生の時には一度、放棄してしまいました。。。


卒業後の業務で、「エクスナー法」と呼ばれるロールシャッハ・テスト法に出会います。

同じ検査の中で、〇〇法、〇〇法、って解析・解釈法が分裂してる自体、もうこの検査は生き残れないのではないか⁉と思いましたが。

それでも、エクスナー法と呼ばれる解析・解釈法は、明確に方法が明記されており、まだまだ立ち上がったばかりの学会が企画する研修会が開かれていました。

何よりも、何を解析しているかが、スコアリングの段階から目的がはっきりしていることが、私には本当に目から鱗だったのを覚えています。


手当たり次第に勉強してきたので、いつの間にか「エクスナー法」が「包括システムによるロールシャッハ法」なんて長い名称に変更された理由も知らずにきてしまいました。

最近、学会がこのテスト法実施のための資格を作り、本格的に研修が動き出したため、一番の基礎の講座を受けてみました。

ロールシャッハ・テストの歴史、何とも人間臭いものでした。


ロールシャッハ本人がどんな思いから、図版作りをしたのか、何枚もの図案からたった10枚の図版に絞られた経緯はとても現実的な理由でした。

ロールシャッハ本人が若くして亡くなってしまったことで、いわゆる1本の道にならず、様々な研究者がそれぞれに解析法を考え研究をしたあげく、2大巨頭の2人が何とも子供っぽい大ゲンカをしたために、未だ〇〇法、〇〇法…と手法が分裂する傾向にあることなど。


それでも、ロールシャッハ・テストが消えなかったのは、やはりそのテストのもつ魅力なのでしょう。

ケンカをしていた大御所の弟子世代にあたるのが、エクスナーであり、彼は飄々とそれぞれの手法から科学的に立証でき、人の性格を多角的に捉えるために必要な指標を取り出し整理し、膨大なデータを取り、検査方法や解析方法を統一化することで、データ同士を比べることができるようにしたのです。

心理学はやっぱり科学なのだなぁと感じるのは、こういうところでしょうか。


「包括システム」とは、「いろいろあったけど、全部ひっくるめて辿り着いたもの」みたいな意味合いのようです。

誰もが一定レベルで解析・解釈できるようにしたことで、その功績はとても大きいと思いますが、「包括システムによるロールシャッハ法」のもつ本当の魅力は、その結果をクライエントや検査を依頼した支援者に、その目的に合わせて、「理解できる言葉で」フィードバックをすることができることにあると思っています。

そしてそのフィードバックに、検査者の臨床力が問われてくると思っています。

検査や解析はある程度、厳格に方法が決まっているので、勉強すれば誰でもとれるようになっています。

しかし、フィードバックを検査者が一方的に説明するだけで終わってしまっては、このテストの魅力と効果は半減します。

データからこういう結果が出ているけれど、どうしてそういう結果が出るに至ったのかを探れるのは、クライエント本人とそれを手伝うセラピストなのです。

2人でこの結果を眺めつつ、ああでもないこうでもない、とクライエントについて真剣に話し合う、これがカウンセリングの最初にできるかできないかで、その後のカウンセリングの意義がまるで違ってきます。

セラピストとクライエントの距離がぐっと詰まる感覚とでも言えるでしょうか。


時には、占い感覚と混同してしまうので、結果を聞くのが怖いと思うクライエントさんもいらっしゃるようです。

でも、意外なことも怖い事実もないんです。

あなたが見た、話したことの結果であり、それをデータ化したものなので、

クライエントご本人にとっては、「ああ、確かにな」と思うことばかりのはずです。

むしろ、セラピストにとっては、ジグソーパズルのピースがたくさん状態なので、

クライエントさんに手伝ってもらわないと、せっかくとったデータを形に仕上げられないのです。

カウンセリングが協同作業であることと、ロールシャッハのフィードバック作業、共通していますよね。


私がカウンセリングにいらした方に、ほぼすべての方に心理テストをお勧めしているのは、こうしたテストの効用をぜひ体験して頂きたいからなのです。

少々面倒だし、疲れるけれど、ぜひチャレンジしてみて下さいね。


テストとフィードバックだけを体験されたい方、カウンセリングまでは…だけど、気になる方、他でロールシャッハテストを受けたけど、なんの説明もしてもらえなかった、数字の結果だけでよくわからない、以前受けたけど、今は変わったかな?変わってないのかな?など、御自分を見つめるきっかけにしたい、等々、様々に御利用が可能な心理テストです。

気になった方は、ぜひお問合せ下さい。




https://www.office-tsumugi.com/%E5%8B%89%E5%BC%B7%E4%BC%9A-%E7%A0%94%E7%A9%B6%E4%BC%9A ← ロールシャッハを勉強したい専門家の方

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すごいヒットになっている「鬼滅の刃」ですが、「鬼滅」について熱く語るクライエントさんも多く、何が観る人を魅了しているのかな…と興味本位で映画を観にいきました。

御多分に漏れず、何度かウルウル…。

手前勝手な感想をつらつらと書きたいと思います。


特徴的だな…と思ったのは、

鬼の強さを目の当たりにした時に、主人公が早々に自分の限界を認識するところです。

…強いな~、どうやったって勝てないよ。

…1人倒しても、もっと強いのがまた立ちはだかる。

どうにも敵が強すぎて、そこに勝ち目なんて一分もないくらいの圧倒的な壁の高さを、

早々に主人公は認識します。

それでも、唯一生き残っている妹を鬼にするわけにはいかないと奮起して、

戦いを続けるわけです。

この「かなわないことを認め、絶望する」セリフをこんなにシンプルに丁寧に語るアニメも珍しいですよね。現実の世界では、自分の弱さを簡単に受け入れられないために、難しい言葉を並べ立てたり、理屈に変換してみたり…そういうものに比べると、本当にシンプル。


さらに自分の弱さ・限界を受け入れても、それに甘んじるわけにはいかないと奮起します。

「限界を超えるんだ!」と叫んで限界が超えられてしまうのはアニメならでは…ではありますが、そこの絶望→奮起する心の動きが丁寧に描かれている気がします。

「限界を知ることも必要」がもてはやされた時代に、「限界を超える」とは、なかなか挑戦的なセリフです。


丁寧に描かれていると言えば、すでに絶望の淵に立っている人間が、一番幸せだった頃の「夢」を見させられ、抜け出せないように術にかけられている場面。

幸せな時を味わいながら、どこかで”これは何かがおかしい”と気づいている自分がいることも。そこから抜け出すには、夢の中の自分の首を切らなければならず、術にかかる度に、主人公は首を切る覚悟を試されます。通常のアニメなら何か技や魔法を使って打破してしまいそうですが、鬼滅ワールドでは、ものすごい精神力を使わされます。

観ている間も肩に力が入りっぱなし。。。


この「精神力」が鬼滅の刃のキーワードになりそうです。

シンプルに「昭和の根性論」を連想するのは私だけでしょうか?

終戦後から日本が這い上がる頃は、この「根性論」は全盛期でした。

平成になり時代が平和に慣れてくると、何でも「根性論」で片づけていくわけにはいかず、「根性論」は古臭い、ダサいものになっていきました。

スマートにデジタル世界を享受して、それぞれの「個」を尊重して、無理をしない…。


子どもを取り巻く世界も、いつの時代も起こっている事象は同じではありますが、

捉え方が時代によって変わっていきます。

昭和の時代は、学校に行かないなんてことはありえない、甘えだとか、さぼりだとか。

「いじめ」や「自殺」が負の要素として取り上げられていた時代です。

そのうち、学校に「行けない」ことが重視され、登校することが「絶対」ではないという考え方が受け入れられ、「不登校」や「発達障害」で語られることが多くなります。

場面は学校だけにとどまらず、社会に出てからも、「ニート」であったり「ひきこもり」であったり…。


いつでもいろんな立場で必死に生きている「人」がいます。

時代によって焦点があてられる立場が違うだけなのですが、

「しんどいなら無理をしなくてもいい」という時代も長くなってきました。

でも、時代がそう受け入れているから…と無理やり受け入れている人も多いですよね。

人はぎりぎりまでしんどくても頑張ってしまうものです。

頑張って抜け出せる人も抜け出せない人もいます。

抜け出せなかった人を優しく受け入れられるようにという時代の流れの中で、

同じように必死の思いで抜け出せてしまった人々は、

それを誇ることも、大きな声で語ることもできずにいます。

語るべき時代ではないから。

立場が違うだけなのに、語れる時が時代によって変わってしまうのです。


そんな語るチャンスのない人たちが、この鬼滅の「精神論」に感動を覚え、自分のいろいろに乗り越えてきたものを重ね、心を震わせているのかな…というのが、感想です。

乗り越えてきたものに、大きい小さいもなく、若いとか年を経ているとかも関係ないので、

どの世代の子も自分の過去と重ね合う部分と共鳴しているのでは。

映画を観終わって、内容を噛みしめていて、「あーそうか、そういうことか」と目から鱗が落ちて納得したのですが、それを言葉にするのは、とても難しいですね。

私の納得の瞬間をうまくお伝えできていなかったら、ご容赦下さい。


映画を観ながら、場面場面が今までのクライエントさんの乗り越える過程にシンクロしていました。もちろん自分の人生の場面にも…ですが。

そういう意味で、長い余韻のある映画です。

頑張ってきた自分を「よくやったね、こうやって頑張ってきたんだ」と褒めてもらった気分になる、そんな映画でした。だから、また観たくなるのかな?


登場人物のお母さんが、その子の「言って欲しい言葉」をきちんと言ってくれるんです。

現実にはなかなかそんな体験できませんので、「そうそう、それ!」と疑似体験。

私もそういうセリフをきちんとクライエントさんに伝えられるようにしたいものです。


私はまだ「鬼滅の刃」を読み終わっていないので、あくまで途中経過の感想です。

まだ噛みしめていたい気分なので、終わりがあるのをわかっていて、

続きを読めないでいます。。。

私の中にあるいろいろにめぐる考えを表現しきれたとは思いませんが、

こんな風に思いを巡らせてくれる機会を与えてもらったことに、感謝です。

精神的にはちょっと疲れましたけど、

久々にケースカンファに出た後のような心地よさを味わいました。








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東京カウンセリングオフィスつむぎ(中央区日本橋)

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