すごいヒットになっている「鬼滅の刃」ですが、「鬼滅」について熱く語るクライエントさんも多く、何が観る人を魅了しているのかな…と興味本位で映画を観にいきました。
御多分に漏れず、何度かウルウル…。
手前勝手な感想をつらつらと書きたいと思います。
特徴的だな…と思ったのは、
鬼の強さを目の当たりにした時に、主人公が早々に自分の限界を認識するところです。
…強いな~、どうやったって勝てないよ。
…1人倒しても、もっと強いのがまた立ちはだかる。
どうにも敵が強すぎて、そこに勝ち目なんて一分もないくらいの圧倒的な壁の高さを、
早々に主人公は認識します。
それでも、唯一生き残っている妹を鬼にするわけにはいかないと奮起して、
戦いを続けるわけです。
この「かなわないことを認め、絶望する」セリフをこんなにシンプルに丁寧に語るアニメも珍しいですよね。現実の世界では、自分の弱さを簡単に受け入れられないために、難しい言葉を並べ立てたり、理屈に変換してみたり…そういうものに比べると、本当にシンプル。
さらに自分の弱さ・限界を受け入れても、それに甘んじるわけにはいかないと奮起します。
「限界を超えるんだ!」と叫んで限界が超えられてしまうのはアニメならでは…ではありますが、そこの絶望→奮起する心の動きが丁寧に描かれている気がします。
「限界を知ることも必要」がもてはやされた時代に、「限界を超える」とは、なかなか挑戦的なセリフです。
丁寧に描かれていると言えば、すでに絶望の淵に立っている人間が、一番幸せだった頃の「夢」を見させられ、抜け出せないように術にかけられている場面。
幸せな時を味わいながら、どこかで”これは何かがおかしい”と気づいている自分がいることも。そこから抜け出すには、夢の中の自分の首を切らなければならず、術にかかる度に、主人公は首を切る覚悟を試されます。通常のアニメなら何か技や魔法を使って打破してしまいそうですが、鬼滅ワールドでは、ものすごい精神力を使わされます。
観ている間も肩に力が入りっぱなし。。。
この「精神力」が鬼滅の刃のキーワードになりそうです。
シンプルに「昭和の根性論」を連想するのは私だけでしょうか?
終戦後から日本が這い上がる頃は、この「根性論」は全盛期でした。
平成になり時代が平和に慣れてくると、何でも「根性論」で片づけていくわけにはいかず、「根性論」は古臭い、ダサいものになっていきました。
スマートにデジタル世界を享受して、それぞれの「個」を尊重して、無理をしない…。
子どもを取り巻く世界も、いつの時代も起こっている事象は同じではありますが、
捉え方が時代によって変わっていきます。
昭和の時代は、学校に行かないなんてことはありえない、甘えだとか、さぼりだとか。
「いじめ」や「自殺」が負の要素として取り上げられていた時代です。
そのうち、学校に「行けない」ことが重視され、登校することが「絶対」ではないという考え方が受け入れられ、「不登校」や「発達障害」で語られることが多くなります。
場面は学校だけにとどまらず、社会に出てからも、「ニート」であったり「ひきこもり」であったり…。
いつでもいろんな立場で必死に生きている「人」がいます。
時代によって焦点があてられる立場が違うだけなのですが、
「しんどいなら無理をしなくてもいい」という時代も長くなってきました。
でも、時代がそう受け入れているから…と無理やり受け入れている人も多いですよね。
人はぎりぎりまでしんどくても頑張ってしまうものです。
頑張って抜け出せる人も抜け出せない人もいます。
抜け出せなかった人を優しく受け入れられるようにという時代の流れの中で、
同じように必死の思いで抜け出せてしまった人々は、
それを誇ることも、大きな声で語ることもできずにいます。
語るべき時代ではないから。
立場が違うだけなのに、語れる時が時代によって変わってしまうのです。
そんな語るチャンスのない人たちが、この鬼滅の「精神論」に感動を覚え、自分のいろいろに乗り越えてきたものを重ね、心を震わせているのかな…というのが、感想です。
乗り越えてきたものに、大きい小さいもなく、若いとか年を経ているとかも関係ないので、
どの世代の子も自分の過去と重ね合う部分と共鳴しているのでは。
映画を観終わって、内容を噛みしめていて、「あーそうか、そういうことか」と目から鱗が落ちて納得したのですが、それを言葉にするのは、とても難しいですね。
私の納得の瞬間をうまくお伝えできていなかったら、ご容赦下さい。
映画を観ながら、場面場面が今までのクライエントさんの乗り越える過程にシンクロしていました。もちろん自分の人生の場面にも…ですが。
そういう意味で、長い余韻のある映画です。
頑張ってきた自分を「よくやったね、こうやって頑張ってきたんだ」と褒めてもらった気分になる、そんな映画でした。だから、また観たくなるのかな?
登場人物のお母さんが、その子の「言って欲しい言葉」をきちんと言ってくれるんです。
現実にはなかなかそんな体験できませんので、「そうそう、それ!」と疑似体験。
私もそういうセリフをきちんとクライエントさんに伝えられるようにしたいものです。
私はまだ「鬼滅の刃」を読み終わっていないので、あくまで途中経過の感想です。
まだ噛みしめていたい気分なので、終わりがあるのをわかっていて、
続きを読めないでいます。。。
私の中にあるいろいろにめぐる考えを表現しきれたとは思いませんが、
こんな風に思いを巡らせてくれる機会を与えてもらったことに、感謝です。
精神的にはちょっと疲れましたけど、
久々にケースカンファに出た後のような心地よさを味わいました。