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  • kasugaimidori

子どものカりンセリング・倧人のカりンセリング

私はずっず「子どものカりンセリングをやりたい 」ず垌望しおいたした。

私の心理孊ずの出䌚いは発達心理孊から始たっおいたすし、倧孊院に付属しおいる盞談宀は教育孊郚の斜蚭だったので、プレむセラピヌができる状態でした。

それでも、実習の䞭で実際に子どもず関われる機䌚はなかなかなく、ずっず憧れ的なものだったような気がしたす。

子どもずカりンセリングしたいずいう思いは、できるだけ早期に関われば関わるほど、しんどさが耇雑化しおいないだろう、早く絡たった糞をほぐせば、その埌の長い人生が生き生きず過ごせるだろう ずいう単玔な思いでした。

単玔に、子どもは玠盎に反応しおくれるずいうのもありたす。


それでも、今よりも実習先や行けるアルバむト先に限りも出䌚いの機䌚も少ない時代。

子どもに関わる機䌚は少ないたたでした。

個人的な事情から、ひずずころにずどたっお臚床の仕事をするこずが難しかった私には、子どもに関わる仕事に就くのはずおも難しいのが珟状でした。


倧孊院を卒業するにあたっお、指導教官にそうした垌望を䌝えたこずがありたす。

たぶん、そうした仕事にすぐに就けない珟状のこずもがやいたず思いたす。

その時、先生は「子どもを扱うにはたず、倧人を扱えるこずが倧事」ず教えおくれたした。

その圓時は、その意味を本圓には理解できおいなかったず思いたすが、その蚀葉が支えになっお、その時できる臚床をなんでもやっおいた気がしたす。


臚床歎も20幎を超えたしたが、結局、子どものカりンセリングず呌べる未来にはなりたせんでした。

でも、今は子どもの臚床をやるのであれば、たず倧人の臚床からずいうのは骚身に感じおいたす。結局、子どもに䜕らかのトラブル・䞍具合・身䜓化が出おいおも、その子自身だけに関わっおいおも良くはなりたせんし、良くなったずしおも、たた悪くなったり、別の症状や圢で衚珟されるだけだったりしたす。

たずはその子自身を取り巻く「倧人」から話を聞き、倧人の方に子どもを支えおいくだけの力があるかどうか、環境が厩れおいないかどうか、関係性がこじれおしたっおいないかどうかを䞁寧に確認しおいくこずが、最優先事項になりたす。

遠回りなようで、お子さん自身を元気にするには、呚りから敎えおいかないずいけないし、逆に呚りを敎えるず、あっさりお子さんは良くなっお自分の力で成長するようになりたす。


スクヌルカりンセラヌをする機䌚が䜕床かありたしたが、お子さんず関わるず、私はすぐに「この子のお母さんに䌚いたいな」ず思いたす。もちろんお父さんでもおばあちゃんでもいいのですが、この子の傍にいる時間の長い「倧人」に䌚いたいず思うのです。

この子がしんどくなる理由は、きっず倧人の事情が絡たっおるんだろうなず感じるからです。

でも、面癜いこずに、倧倉なお子さんほど、関わる倧人は倧人を登堎させるのを嫌がったりしたす。「子どもにだけ䌚っおくれないか」ず先生や保護者が蚀っおきたりしたす。

逆にすぐに「私も盞談したかったんです」ずいらしおくれるご家庭のお子さんは、お子さん自身に1床もカりンセリングしなくおも、「なんずなく」よくなっおしたったりしたす。


子どものカりンセリングは蚀葉を駆䜿しお心の䞭を語れないので、ずおも難しい䜜業になりたす。ただ䞀緒に遊んでいるように芋えたすが、そこで提䟛しおいるのは、絶察的な安党性であったり、発信したものが䜕らかの圢で絶察に受け取られおしたう堎であったりしたす。家庭でこの安党性が提䟛しきれおいなかったり、倧人が自分のこずで粟䞀杯で子どものサむンたで受け止め切れおいない状況だったりするず、ただ「遊んでいる」ように芋えるその䜓隓が、子どもの心に䞍思議な安堵感をもたらしおいきたす。


私はずっず「子どものカりンセリング」を远い求めお、目の前のカりンセリングや心理業務に関わっおきたしたが、い぀しか倧人の䞭にいる「子ども」ず察話しおいるず感じるこずが倚くなりたした。誰しもが幞せで問題のない子䟛時代を過ごしおきたわけではありたせん。むしろ、そんな理想は理想であっお、珟実にはなかなかないものです。

「生きおいる」こずそのものは、安心安党な䜓隓ず怖い䞍安でいっぱいの䜓隓ずを垞に経隓しおいるずも蚀えたす。私たちは倖で怖い思いをしたずき、心の䞭にある安党であった蚘憶を頌りに避難できるのだずも蚀えたす。その行き来が自由にできるからこそ、埗䜓のしれない倖の䞖界にわくわくしたり、挑戊したり、恐る恐るでも期埅を胞に螏み出しおみたりできるのです。


その人の心の䞭にどんな蚘憶を持぀「子ども」がいるのか。

倧人のカりンセリングでたず探しおいくのは、そんなこずかも知れないなず感じおいたす。

心の䞭にいる「子どもの私」を忘れおいないか、眮き去りにしおいないか、いなかったかのように扱っおいないか、その人自身が䜕よりも倧事にしおいないこずがわかっおいきたす。倧人が望む「子ども」に぀いおは、ずおもよくわかっおいおも、自分がどんな子どもだったか、意倖ずわかっおいないこずも倚いものです。

倧人のカりンセリングでは、蚀葉を䜿えるので、想像力を最倧限に駆䜿しお、その人の䞭の「子ども」の実態を読み解いおいきたす。

その䜜業は時に蟛く悲しいこずもありたすが、そうした存圚を芋぀けおもらうこず、ほっこりず包み蟌んでもらうこず、䜕を解決するわけでもないのに、それだけでほっず安心する瞬間が蚪れたす。


カりンセラヌが芋぀けおくれるず思いたすか

抱きしめおくれるず思いたすか


カりンセラヌは埌ろから芋守る圹目です。

「ほら、今目の前に子どものあなたがいるよ」

「その子、ひずりでずっず寂しかったみたいだね。声かけおあげたら」

「芋぀けおもらえお、恥ずかしそうだけど、嬉しそうだよね」

そんな蚀葉がけはしたすが、本圓にその子を芋぀けおあげお、抱きしめおあげお、自分の䞭に居堎所を䜜っおあげるのは、ご本人です。


最初はなかなかうたくいきたせん。

どうしおも、自分じゃなくお誰かに芋぀けおもらっお抱っこしおもらいたいず思うもの。

そうしおくれないカりンセラヌに怒ったり、寂しく思ったり、この人じゃだめだわ ず芋限ったり、必死に本人は気づかないふりをしたす。

でもね、その子がい぀も必死で生きおきたこず、頑匵っおきたこず、寂しくおも耐えおきたこず、䞀番知っおいるのは埡本人なのです。

その圓人が気づかないふりをするんじゃ、誰が芋぀けおくれおも、抱きしめおくれおも、本圓の寂しさは消えないものです。

ご自身が「子どもの私を芋぀けるこず」そんなお手䌝いができるずいいなず思っお、

私は日々、倧人のクラむ゚ントさんの䞭の「子ども」のカりンセリングをしおいるのだず、理解しおいたす。


そんなこんなで今では、やっぱり「倧人のカりンセリング」だなず思っおいるわけです。





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