祝われても祝われなくても、疲れても…私が誕生日に自分を認めた体験
- Koinuma Noriko
- 4 日前
- 読了時間: 3分
誕生日のモヤモヤ
この前の誕生日も、私はいつも通り仕事をして過ごしました。
特別な予定はなく、誰かに祝ってもらうわけでもありませんでした。
これまでを振り返ると、
誕生日を祝われた年もあれば、
特に何もなかった年もあります。
それでも毎年、この時期になると、
少しモヤモヤした気持ちが湧いてきます。
「喜んだほうがいいのかな」
「楽しそうにしていたほうがいいのかな」
祝われると嬉しい。
でも、祝われなければ少し寂しい。
そのどちらの気持ちも自然なはずなのに、
その感情を抱くこと自体に、
少し疲れてしまうことがあります。
子どもの頃の誕生日
思い返すと、子どもの頃から、
誕生日は少し緊張する日だったように思います。
ケーキがあった年もあれば、
特別なことがなかった年もありました。
どちらの場合でも、
私はどこかで
「どう振る舞えばいいのか」を考えていました。
祝われたときには、
「ちゃんと喜ばなきゃ」
「楽しそうにしなきゃ」。
一方で、
特別に祝われなかったときには、
「気にしないほうがいいのかな」
「何も感じていないふりをしたほうがいいのかな」
と、自分の気持ちを抑えようとしていた気がします。
うれしさがある年も、
少し寂しさを感じる年も、
どちらもありました。
ただ、その気持ちをそのまま感じるより先に、
どうあるべきかを考えていたように思います。

残っていた感覚
その感覚は、大人になってからも、
形を変えて残っていました。
誕生日は、
「何かをしなきゃいけない日」
「ちゃんとしていなきゃいけない日」。
祝われても、
祝われなくても、
どこか気が張る。
誕生日そのものがつらいというより、
誕生日にどう向き合えばいいのか分からない感じが、
続いていたのだと思います。
少し自分にOKを出すだけで
今年の誕生日も、朝はいつも通り仕事をしていました。
一日が終わろうとしていたとき、
以前から気になっていた物の入荷案内を目にしました。
画面を見ながら、しばらく迷っていました。
そのとき、ふと、
こんな考えが浮かびました。
「今日、誕生日だし…
自分に少しだけOKを出してもいいんじゃないか」
完璧じゃなくてもいい。
特別じゃなくてもいい。
そう思いながら、
迷いつつも申し込みをしました。

誰かに祝ってもらったわけでも、
特別なイベントがあったわけでもありません。
ただ、自分で自分に、
少しだけ許可を出した体験でした。
それだけで、不思議と心が軽くなりました。
日常が少し特別になるとき
誕生日も、イベントも、
周りの期待や「こうあるべき」に、
無理に合わせなくていい。
祝われた年も、
祝われなかった年も、
どちらも自分の人生の一部。
好きなものを味わう。
静かな時間を過ごす。
ゆっくり眠る。
そんな小さなことで、十分なのだと、
今年は実感しました。
自分の気持ちを少し優先するだけで、
いつも通りの一日が、ほんの少し特別に感じられる。
祝われても、祝われなくても。
何かができても、できなくても。
今年の誕生日は、
「自分を認める」という、静かな体験を得た一日でした。







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