立場が変わると見えてくること

私は幼い時、外国で災害や事件や戦争などが起きると、テレビで「この件で、日本人はいなかった模様です」などの報道がなされることに、すごく腹が立っていました。

災害や事件に、どこの国の人かなんて関係ないのに・・・。なんで日本人がいなくて良かったみたいな報道をするんだろう…と憤慨していました。誰が巻き込まれたって、ひどい話じゃないか…と。

もう少し大きくなって、自分の身内が外国に住んだり、出かけたりするようになり、こうした報道がすごく意味のあることに気づきました。


幼い頃は、ある意味、遠い外国での出来事に心理的な距離も遠く、「人類みな兄弟」くらいの感覚でしかいなかったからこそ、そうした偏った情報の報道に腹が立っていたんですね。この場合、腹が立つ相手も特定の誰かじゃなく、「マスコミ」や「大人たち」みたいな大きな括りでしかなかったのでしょう。

大きくなり、自分の身近な人が外国に住んでいるという状況を理解すると、そこの外国で事件が起きたというニュースを聞いて、身内は大丈夫かしら?と心配します。そういう時には、「日本人は●●」という報道が、とても必要かつ重要なものになります。


こんなふうに立場が変わることで、同じ事実や状況でも、全然違う理解や違う感情を体験すること、わりと日常的に起こっていますよね。

上記のような見方の違いも、どちらが正しいかと言えば、どちらも正しいし、どちらも「本当に」そう感じているのです。

自分の立場から動くことなく、同じ状況を見続けていれば、違う立場から見たり感じたりしている景色は想像もつかないわけです。

お互い自分の景色しか見ないし、信じない…となると、同じものが見えている人としか交流ができなくなったりしてしまいま