私は幼い時、外国で災害や事件や戦争などが起きると、テレビで「この件で、日本人はいなかった模様です」などの報道がなされることに、すごく腹が立っていました。
災害や事件に、どこの国の人かなんて関係ないのに・・・。なんで日本人がいなくて良かったみたいな報道をするんだろう…と憤慨していました。誰が巻き込まれたって、ひどい話じゃないか…と。
もう少し大きくなって、自分の身内が外国に住んだり、出かけたりするようになり、こうした報道がすごく意味のあることに気づきました。
幼い頃は、ある意味、遠い外国での出来事に心理的な距離も遠く、「人類みな兄弟」くらいの感覚でしかいなかったからこそ、そうした偏った情報の報道に腹が立っていたんですね。この場合、腹が立つ相手も特定の誰かじゃなく、「マスコミ」や「大人たち」みたいな大きな括りでしかなかったのでしょう。
大きくなり、自分の身近な人が外国に住んでいるという状況を理解すると、そこの外国で事件が起きたというニュースを聞いて、身内は大丈夫かしら?と心配します。そういう時には、「日本人は●●」という報道が、とても必要かつ重要なものになります。
こんなふうに立場が変わることで、同じ事実や状況でも、全然違う理解や違う感情を体験すること、わりと日常的に起こっていますよね。
上記のような見方の違いも、どちらが正しいかと言えば、どちらも正しいし、どちらも「本当に」そう感じているのです。
自分の立場から動くことなく、同じ状況を見続けていれば、違う立場から見たり感じたりしている景色は想像もつかないわけです。
お互い自分の景色しか見ないし、信じない…となると、同じものが見えている人としか交流ができなくなったりしてしまいます。ちょっとつまらないですね…。
私たちカウンセラーは、クライエントさんのお話をうかがうとき、なるべくその人の立場や心理的な構えをなぞった上で、クライエントさんがその状況をどう体験し、感じているかを理解しようとします。そのために、なるべく同じ目で見られるように、その方のバックグラウンド(家族関係や生い立ちなど)をうかがいます。それは実際に起こった事実や、私自身が感じることとは違ったりすることもよくあります。それでも、カウンセラーの仕事は、「何が正しい」ということよりも、「その人がその時どう体験して、どう感じたのか」を理解しようとする仕事でもあります。
クライエントさんの感情を同じように感じるのは、簡単なことではありませんし、何度も「こんな感じ?」「そうじゃなくて、もっとこう…こんな感じ」なんてやりとりを繰り返して、何十回とお会いするうちに、「そうそう!」なんて、ようやくその人の感じ方のパターンがわかってくるようになります。
クライエントさんの方も何気なく感じていた自分の体験が、誰にでもそうではない、人にわからせるにはこんなに時間がかかったり、労力が必要なんだとわかるようになってきます。
自分の感じ方や体験を「伝える」必要があること、相手を理解するには「自分の立場」を「相手の立場」に移動して想像してみれば、わかるのかも…とコツをつかんできます。
全然違う立場の人の考え方にも共感できたり、理解できたりするようになるんですね。
それまで、「人の意見を理解すること」=「人の意見に合わせ」「自分の意見を曲げる」というマイナスイメージだったものが、自分を安全地帯に置いた上で、相手の意見を体験して理解することができるようになります。
こうなると、人と関わっていくことは、「自分」をいちいち揺り動かされないので、格段に楽になりますし、楽しくさえなっていきます。
それでも、ついつい「自分の立場」を大事に守るあまり、そこから動けなくなること、よくありますよね。
そんな時は、ちょっと深呼吸して、「相手の立場」というフィクションの世界に想像をめぐらしてみてみましょう。「ああそうか…」その人の立場から状況をみれば、そういう理解になるのかと、すとんと腑に落ちてくることがあります。
その理解をしてから、現場に戻ってくると、取り巻く世界がちょっと柔らかく見えるようになります。
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