どこのカウンセリングに行こうか…と思った時に、美容院や病院、マッサージを選ぶように「口コミ」や「評判」を調べてみたりしませんか?
でも、カウンセリングの口コミって…どうなんでしょうか?
正直、あまり参考になる口コミ…ないなぁって思いませんか?
それはどうしてなのか、ちょっとつらつらと考えてみました。
私個人の感想なので、御了承の上、お付き合いください。
ここで言うカウンセリングは、心理の専門家が行う心理療法や精神療法を想定しています。
実際問題として、1回や2回のカウンセリングで「これだ!」と思うような劇的な効果が見込めることはあまりありません。
あるとすれば、それは心理療法や精神療法でなく、「啓蒙」に近いアドバイスや指導であったりするでしょう。
カウンセリング自体は数か月~数年かけて、カウンセラーやセラピストと信頼関係を築き、その中で自分の問題や性質、つまづきなどに向き合っていくことになります。
その過程の中で、カウンセラーとクライエントの関係は、できるだけクライエント自身で考え解決していけるよう、カウンセラーはそっと手を添えるように話を聞き、整理し、こんがらがっている糸を一緒に解きほぐすように、一緒に考えていきます。
その関係は決して平穏なものではなく、時にはクライエントの中の葛藤を、カウンセラーとクライエントの関係で表すこともあり、お互い「いい人」ではいられない場面を乗り越えていくこともあります。
その結果、カウンセリングが終結したり、中断したりして、「口コミ」を書くタイミングを迎えた時に、果たして、どんなことをあなたは投稿したいと思いますか?
決してきれいごとではない戦いを終えた時、カウンセラーを同志のように思っていたりもしますが、できればそうしたカウンセラーとのやりとりは「隠して」おきたいものです。
力のあるカウンセラーであればあるほど、クライエントに「カウンセラーは戦いに付き合ってくれたけれども、戦い切ったのは自分だ」と思えるように尽力します。
そうしないとカウンセリングが終結して、自力で生きていける礎にならないからです。
うまく「自分の力でやり切った」という方向にいかないと、いつまでもカウンセリングが終えられなかったり、良くなったと思ってもまた再発してしまったりと、付け焼き刃な治療にしかならないことになります。
こうした治療の場合、カウンセラーが「いい人」で終わっている場合が多く、少々歯の浮くくらいの誉め言葉や、感謝の言葉が並べられた「口コミ」が投稿されたりします。
こういう投稿をする意味としては、クライエント自身にも「きれいごと」で終わっているという一抹の不安があったり、本質は解決されていないという「現実」から目をそらすために、投稿を見る観客に支えてもらいたい、正しいと後押してもらいたいという気持ちもあり、あえて「良かった」と表明して仲間を増やしたくなるのかも知れません。
また、カウンセリングは「終結」と言えるまで継続できないことも多くあります。
カウンセラーの中では「中断」と理解している場合です。
「健康への逃避」と前向きに表現することもあります(笑)。
きちんと終結できずに終えてしまった場合、口コミはカウンセラー非難になりやすいことは想像がつくでしょう。
それが事実であれ、クライエント側の心的事実であれ…、クライエントが傷ついたままでいることは確かで、その傷つきを訴えたくなり投稿されるのでしょう。
ここまでくると、
口コミが書かれるのは、
・まだ問題が解決していないけれど、カウンセラーが「いい人」のままで終わった場合
・カウンセリングが中断せざるを得ない状況
(カウンセラーの力量の問題やクライエントが向き合えなかった等々…)
であることが、予想できませんか?
どちらにせよ、あまりうまくいっているとは言い難い状況ですね。
口コミを検索して探したいのは、いわゆる「うまくいった治療や場合」のコメントなのですが、最初にお話したように、うまくいった場合は得てして、大きな声で誰かには伝えたくないのが心情ですよね。
だから、いろいろ口コミを探っても、なんとなく実感のこもったよさげな感想が出てこないのかな~と思っています。
ネットでしか情報のないサービスも多くなっている昨今なので、できるだけ情報を集めたいという気持ちもわかるのですが、こころの問題を扱うサービスの場合は、他のサービスと違って、あえて書かれていない「口コミ」にも思いをはせて頂きたいな…と思うのでした。
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